出 身 地 徳島県徳島市
昭和42年 日本民謡 三裕会(現:三裕連合会) 会長 渡辺嘉月師(故人)に師事
昭和52年 嘉月師より「嘉与」の名前を受ける
昭和58年 藤本流三味線 藤本秀丈家元より「藤本ひでまさ」の名前を受ける
民謡太鼓 高田愛友(名津明)師 客弟子として入門
昭和59年 藤本流 本部・講師:藤本秀次師、藤本秀心師、両講師に5年余り、
月1回上京し師事
昭和59年 なら社会保険センタ─講師となる (現:ウエルネス倶楽部)
昭和60年 藤本流「師範」となる
昭和61年 日本民謡 みちのく会 会主 岡本利仁師に津軽三味線を師事
平成 7年 岡本利仁師の許し得て
津軽三味線 宗家 成田流家元 成田光義師に師事(病に倒れるまで)
平成 8年 実母、篠原美津杷より「日本民謡 ひろみつ会」を継承
平成18年 津軽三味線「光民謡研究会」結成
※ 成田光義 宗家 病のため、宗家に許しを得、
宗家に師事をした各会の会主4名で結成
現在に至る。